(47)仲野実著『近代という病いを抜けて』
◎「日向ぼっこ社会」にひかれる 評価★★★★★
ガンバロー会というのは、大阪府の精神病院を退院し、アパートで生活保護などで暮らしている人びとが集まり、おしゃべりやハイキングを行っているグループです。本書で、そのグループの活動をともにする精神科医の著者が、人びとが共生するような社会とはどのようなものか考察しています。こう書くと、題名も「近代という病いを抜けて」と大仰ですし、なにやら障がい者問題について声高な論文に聞こえますが、まったく違うのです。
運動系のオルグで演説する人が来ると、会の人たちはみな黙って聞き、反対する人もいません。話が終わるとみな「てんでばらばら」はおしゃべりに戻ってしまうのです。運動系の人は狐につままれたように帰ってしまう。フィールドワークに来た医師は用意してきたアンケートに何も意味がないとさっさと悟り、彼らのペースで共同生活をしてしまう。会の一人が「ヘリコプター発明者」という名刺をつくって配る。みな別段驚かないし、次の日から普通に「ヘリコプターさん」と読んだりする。
「てんでばらばら」という穏やかさで、精神障がい者の人びとが支え合って生きているので。これはなかなか感動的なグループだと思います。落語にすこしおつむの弱い与太郎というキャラクターがありますが、現代では与太郎はもしかしたら精神病院に入れられるかもしれません。しかし、前近代社会では共同体のなかでなにがしかの役割があります。人に笑いを提供することもその一つです。ガンバロー会は、なにやらそんな与太郎の集まりの観があります。そういう会が現代社会にあるということが、まずうれしい喜びです。
ガンバロー会という実践のなかで、著者は「近代的個人」というものがいいものなのだろうかと考えます。近代的個人とは、「常に首尾一貫していなければならない」「関係は常に一貫性ある信頼されるものでなければならない、それが責任というものだ」ということです。しかし、著者はそれは絶対的な真理ではないと反論しています。もしかしたら、近代のほうが人間にとっては病いではないかと。これが題名につながる話となります。
著者はジャン・リュック・ナンシーやレヴィナスなど現代思想を援用しながら、ガンバロー会のような社会は「日向ぼっこ社会」ではないかと名付けます。日向ぼっこしながら、みながてんでばらばらにつながっている。無理にまとめようとすると「本当のばらばら」になってしまうから、無理にまとめない。川の流れや波動のようなもので、人びとがゆるやかにつながっているような、そんな社会像です。
「今や、私たちは、人間の手を離れた<得たいのしれない巨大なもの>と日常的につき合わざるを得ない状況にる」と著者は書きます。テクノロジーはそれが行き過ぎると<悪>に転化してしまいます。そしていちばんやっかいなのは、「ここから逃げる」ということはできないのです。そこで著者は「ここで自由になる」という道を指し示します。それがまさにガンバロー会の存在というのです。
社会はますます複雑化し、個人の力ではどうにも手に負えないということは、多くの人が実感していると思います。たしかに「ここ」からは逃げられない。精神障がい者という少数者が照らし出してくれた「てんでばらばら」「日向ぼっこ社会」ということに、とても魅力を感じます。もちろん、社会革命はとうぶん起こりそうにはないですが、少なくとも一人の人間として人間らしく生きていくための心構えのようなものを、本書は教えてくれると思います。<狸>
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