(37)神保哲生、宮台真司ほか著『格差社会という不幸』

◎ヒドイ社会をどうするか ★★★★☆

 冒頭で宮台真司さんが的確にまとめていますが、現在の日本は客観的にみて「ヒドイ社会」です。自殺率は英国の3倍
、米国の2倍、労働時間は非常に長く家族や社会活動にあてる時間もない。「経済を回って社会回らず」と宮台さんが表現するように、経済のために人々はさまざまなものを犠牲にしてきました。成長している時代ではまだ納得できる面もありますが、「金の切れ目が縁の切れ目」でおおむね1997年を切れ目にヒドイ社会はますますヒドイ社会になっていきました。
 宮台さんと神保哲生さんが運営しているインターネット対談番組を活字化したものですが、放送の内容をほぼたっぷり収録しているので、深いところまでの議論を読むことができます。
 年越し派遣村湯浅誠さんや「婚活」を造語した山田昌弘さんたちがゲストスピーカーに招かれていますが、私がいちばん興味深かったのは労働社会学者の本田由紀さんの回でした。
 本田さんは現代の社会を「ハイパーメリトクラシー」という言葉で分析しています。メリトクラシーとは「業績主義」と訳され、その人が後天的に得た業績や能力を意味します。反対語は「属性主義」で士農工商身分制度など生まれ持って決まっている属性で人生が決まってしまうことです。「メリトクラシー」であれば、公教育制度のなかで勉強をしたり技術を身につけることで人が評価をされ、一定の開かれた公平な社会となります。ところが現代ではメリトクラシーが斬り捨てられ、「もっと露骨で過酷なメリトクラシーが、社会のいろんなところで姿を現しつつある」ということが「ハイパーメリトクラシー化」であると本田さんは説明します。
 なぜ過酷なのかというと、かつては学歴や仕事上のキャリアを主な要素として人は評価されましたが、現在はそれに加えてコミュニケーション能力や個性、創造性、意欲、問題発見・解決能力など、曖昧で物差しがわかりにくいものが重視されるようになっていると分析します。以前、この書評欄で若者が異常なまでに「空気を読む」ようになっている見方を紹介しましたが(http://d.hatena.ne.jp/shoshi-solaris/20100117#1263690463)、本田さんの分析で若者の変容は社会全体を覆うものだということが分かりました。
 対談相手の宮台さは、ハイパーメリトクラシー化の進展について、自己啓発セミナーや企業研修セミナーがそれに対応すると説明します。セミナーはかつては幹部に行われるものでしたが、現在は中間管理職にまで及び、広い範囲がハイパーメリトクラシー化していると観察します。
 ハイパーメリトクラシーを完全に成し遂げるというのは、ある意味では「超人」になることを求められることです。恵まれた家庭環境で生まれ育ち、高い学歴をもち、成績もよく、社交的で、問題が発生すればスマートに解決をする能力があるような人物です。むろん、それは無理な話なのですが、今の社会が多くの人が超人にならなければならないという強迫観念をもたされていると本田さんは見ます。結局90年代後半からどうなったかというと、「空気を読む」というプレッシャーのなかで、異質であったり反逆児であったりすることを恐れる風潮が広まりました。「人間力」という言葉がよく使われますが、実はそれは「空気を読む」ということと同義であって、人々ぬえのようにとらえどころのない「人間力」という評価をめぐって迷走しているというのです。
 本田さんは、そんなハイパーメリトクラシー化の浸透への対抗策をいくつか示しています。ひとつは、大学できちんと勉強ができるようにすることです。企業が大学での勉強をさせないかのように就職活動をさせるような状況はまず改善すべきだと。また、制度としては高校段階から「専門高校」を増やすことを提唱しています。工業高校や商業高校はありますが、それは偏差値の低い生徒たちのためになってしまっており、そうではなく真の意味で「専門性」を身につけさせる高校を増やすべきだと強調します。そうすることによって、若者たちに技能をもっているという安心感を与え、生きやすくさせるといいます。専門性は超人を目指すハイパーメリトクラシー化と相反するようにみえますが、本田さんは「フレキシビリティ」と「スペシャリティ」を組み合わせた「フレクスペシャリティ」、つまり「柔軟な専門性」を培う教育が必要だと述べます。
 それは統計的にも有効のようです。国際的には先進国では専門高校の割合が多く、日本は後進国と同じような比率だということです。人々が安心して人生設計をするには「フレクスペシャリティ」という道が有効だという傍証になっていると思います。
 日本が教育をはじめとする制度を変えなければ、ヒドイ社会、つまり格差が激しく、下降してしまった人々の不幸が増大するという社会へと突き進んでしまいます。本書は、本田さんの回のように、これ以上、ヒドイ社会にならないよういんする処方せんも議論されていて、配慮のきいた内容となっています。例えばアメリカ社会に詳しいエコノミストの小林由美さんの回ですが、たしかにアメリカの格差はものすごいけれど、定収入でも幸福に暮らしている人は多いという感想です。幸福はお金だけで生まれるものではなく、家庭や地域活動、多様なレジャーによってもたらされます。日本人にはそういう余裕すらありません。
 日本の「不幸」の真相を、本書はかなり掘り下げていると思います。そして幸福について、これから多くの人たちが語り、実際に取り組んでいかなければならないと思わせてくれた、よい対談集です。

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